フロリダ州 (Florida, FL)
フロリダ州 (Florida, FL) は米国東海岸の州。フロリダ半島の全域を占め、ジョージア州とアラバマ州に接しており、サンベルトと呼ばれる比較的気候が温暖な州の1つ。
州都はタラハシー (Tallahassee)。主な都市はマイアミ (Miami)、タンパ (Tampa)、ジャクソンビル (Jacksonville)、オーランド (Orlando)など。
ケネディ宇宙センター、スペースポート・フロリダ、ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート、ユニバーサル・オーランド・リゾート、シー・ワールド・オブ・フロリダなどがあることで有名で、アメリカでも有数の観光地として知られている。
フロリダ州の歴史
フロリダ州の歴史(フロリダしゅうのれきし、英:History of Florida)では、約14,000年前にインディアンが、現在のアメリカ合衆国フロリダ半島に住み始めてからの歴史を概説する。
1513年、インディアンの後にスペイン人の探検家フアン・ポンセ・デ・レオンがこの地域に白人では初めて到着し探検した。
フロリダの前史
アジアから北アメリカに渡って来たパレオ・インディアン期の人々は、少なくとも14,000年前に、今日のフロリダ州となる地域に入ってきた。ウィスコンシン氷期の間に大量の水分が氷河に閉じ込められたために、海面は現在のレベルよりも100メートル下がっていた。その結果、フロリダ半島の大きさは現在の2倍ほどはあった。また、現在よりも乾燥し冷涼な気候であった。流れる川あるいは湿地帯もほとんど無かった。フロリダの大半の地域では、陥没穴や石灰岩の集水域でしか淡水が得られなかった。その結果、大半のパレオ・インディアン期の人々は現在の河床にあった水たまりや陥没穴、集水域(例えば、オーシラ川のペイジ・ラドソン遺跡)の回りで活動し、クローヴィス尖頭器を含みパレオ・インディアン期の遺物が豊富に出土している。
紀元前8,000年頃に氷河が後退し始め、フロリダの気候は暖かく湿度が高くなり、海面が上がった。パレオ・インディアンの文化は古期前期の文化に発展し、移り変わった。フロリダの人口が増え、もはや乾燥地の少ない水溜まりに囚われる必要がなかったので、より多くの遺跡に遺物が残されるようになった。古期前期の文化は紀元前5,000年頃に古期中期の文化に発展した。人々は湿地帯近くの集落に生活し始め、何世代にもわたって住むことのできる場所を好んだ。古期後期は紀元前3,000年ころに始まり、フロリダの気候は現在と同様になり、海面も現在のレベルに近付いた。人々は通例、淡水や海水の湿地帯に住んだ。この時代には大きな貝塚が築かれた。多くの人々がホーアズ・アイランドのような目的を持って造られた盛り土のある大きな集落に住んだ。紀元前2,000年までにフロリダでも土器が現れた。紀元前500年頃までに、フロリダではかなりの程度均質であった古期の文化が地域ごとの文化に分かれ始めた。
フロリダ東部と南部の古期以後の時代は比較的孤立して発展しており、ヨーロッパ人が最初に接触した頃にこの地域に住んでいた人々は、古期にこの地域に住んでいた人々の直系の子孫であった可能性がある。フロリダ・パンハンドル(鍋の取っ手)地域、北部およびフロリダ半島のメキシコ湾岸中部はミシシッピ文化の影響を強く受けているが、文化史の中で連続性があり、これらの文化で生活した人々は古期の人々の子孫でもあることを示唆している。パンハンドルや半島北部でトウモロコシの栽培が始まったが、南部のティムクア語を話す人々の部族ではまだ始まらないか非常に限られたものであった(すなわち、およそ現在のデイトナビーチからタンパベイの1点あるいはその北を結ぶ線より南)。
インディアン部族
ヨーロッパ人による最初の接触があったときに、フロリダには数多くの部族に属するおよそ35万人のインディアンが住んでいたと考えられている。スペイン人は遭遇した100近い集団の名前を記録しており、5万人ほどの人口を持つアパラチー族のように組織化された政体を持つものから、政治的な所属も明らかでない集落まで様々であった。ティムクア語の方言を話す人は15万人いたと推計されているが、ティムクア語族は集落の集合として組織化されているに過ぎず、共通の文化を持っているわけではなかった。最初の接触当時にフロリダにいた部族は、アイス族、カルーサ族、ジェアガ族、マヤイミ族、テケスタ族、トコバガ族などがある。これら部族の全てがスペインによるフロリダ統治時代にその人口を減らした。18世紀の初め、フロリダより北の地域の部族はカロライナ植民地の白人開拓者によって物資の補給を受け、後押しされ、時には白人と共に現れて、フロリダ中を荒らし回り、集落を焼き、住人の多くを殺害し、また捕虜をチャールズタウンに連れ帰って奴隷として売り払った。フロリダにあった集落の大半が打ち棄てられ、生存者はセントオーガスティンや地域内の孤立した地点に避難所を求めた。アパラチー族の中には結局ルイジアナに行き、少なくともあと1世紀特徴ある集団として生き残った者もいた。これら部族の数少ない生き残りは、1763年にスペインがフロリダをイギリスに渡した時に、キューバに逃れた。元々他の集団を吸収したムスコギー連合(クリーク族)の分派であったセミノール族は、18世紀にフロリダでも傑出した部族として発展し、現在ではオクラホマ州のセミノール・ネーション、フロリダのセミノール族、およびフロリダ・インディアンのミカズキ族となっている。
現在、アメリカ連邦政府が公式認定し、保留地(Reservation)を領有している部族 はセミノール族とミカズキ族のみ。両者は観光事業に特化し、セミノール族が1979年に全米初の「インディアン・カジノ」を開設して大成功をおさめている。セミノール族は2006年にはハードロックカフェを買収、観光ビジネスを拡大している。ミカズキ族もカジノのほかゴルフ場観光などに力を入れ、大リーグ中継でもその看板を目にすることが出来る。カジノ運営は保留地を持つ部族だけの特権であり、アメリカ連邦政府から「絶滅部族」認定された部族は保留地を持てない。このため、フロリダだけでなく、全米のインディアン部族がビジネスチャンスを得ようと部族の再認定をフロリダ州政府とアメリカ連邦政府に要求し続けている。
他州では、アメリカ連邦の認定の前に、州政府がこれを認定する例が見られるようになった。しかし、1988年に開かれたBIA(国務省インディアン管理局)のフロリダ州知事会議では、セミノール族とミカズキ族、ムスコギー(クリーク族)連合以外の部族をインディアンとして認定しない旨の申し合わせが行われている。
≪アメリカ連邦政府が公式認定している部族≫
≪アメリカ連邦政府が公式認定していない部族・団体≫
- 「アパラチコーラ・バンド」
- 「ローワー・ムスコギー族」
- 「東部クリーク族フロリダ・バンド」
- 「クリーク・ユチ・バンド」
- 「伝統派セミノール族」
- 「ヤマシー・セミノール族・オクレワハ・バンド」
- 「フロリダ・チェロキー族・タスコーラ連合」
- 「チカマウガ・チェロキー族」
- 「ウルフ・クリーク・チェロキー族」
- 「ホワイトリバー・バンド」
- 「クリーク・バンド」
- 「エコタ・チェロキー族」
- 「チカマウガ・クリーク&チェロキー」
- 「赤い国の相互部族」